犬のカーミングシグナルとは、犬が自分や相手を落ち着かせるために使うボディランゲージのことです。あくびや鼻舐め、視線そらしといった行動は、「怒っている」「退屈している」のではなく、緊張やストレスを和らげようとするコミュニケーションです。これらのサインを正しく理解することは、犬との信頼関係を深め、不要なトラブルを防ぐ第一歩になります。
本記事では、犬のカーミングシグナルの種類・読み方・飼い主がとるべき対応を科学的視点から解説します。トレーニングや日常生活での活用法もご紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。
犬のカーミングシグナルとは何か
犬のカーミングシグナルは、ノルウェーのドッグトレーナー、トゥーリッド・ルガースによって提唱されたコミュニケーション理論です。ルガースは長年にわたる観察から、犬が30種類以上の行動パターンを使って自他の緊張を緩和しようとすることを発見しました。
犬のカーミングシグナルは、オオカミなどの社会的動物が群れの中で争いを避けるために発達させた行動と考えられています。犬は家畜化の過程でこれらの能力をさらに洗練させ、人間を含むさまざまな相手とのコミュニケーションに活用するようになりました。Hallら(2019年)は、こうした行動が犬同士のみならず、人間との関係においても重要な役割を果たすと報告しています。
飼い主がこれらのシグナルを見逃すと、犬はストレスを蓄積させ、やがて問題行動や健康への影響につながることがあります。犬のカーミングシグナルを理解することは、科学的な犬との関わり方の基礎です。
代表的な犬のカーミングシグナル一覧
犬のカーミングシグナルには、微細なものから明確なものまで幅広い種類があります。それぞれの行動が示す意味と、どのような状況で観察されるかを詳しく見ていきましょう。
あくび(Yawning)
あくびは最もよく観察される犬のカーミングシグナルの一つです。眠いときだけでなく、緊張した状況や叱られたとき、見知らぬ人や犬が近づいてきたときにも頻繁に見られます。あくびをすることで自分の興奮を抑えるとともに、相手に「敵意がない」ことを伝えます。
Canoriら(2025年)の研究によれば、犬は飼い主がストレスを感じているときにも感染性あくびを示し、情動的共感との関連が示唆されています。連続して何度もあくびをする場合は、その場の状況が犬にとって強いストレスになっている可能性があります。
鼻舐め(Nose Licking)
鼻をペロッと素早く舐める行動は、不安や緊張を感じているときに現れる犬のカーミングシグナルです。撮影のためにカメラを向けられたとき、大きな声で呼ばれたとき、初対面の人と目が合ったときなど、日常的な場面で確認できます。
鼻舐めは一瞬で終わるため見逃しやすいですが、繰り返し見られる場合はその状況が犬にとってストレスになっているサインです。写真を撮るたびに鼻舐めをする犬は、カメラやフラッシュを不快に感じているかもしれません。
視線そらし(Looking Away)
直接的な視線合わせを避けて顔や体をそらす行動も、重要な犬のカーミングシグナルです。犬の世界では、じっと見つめ合うことは挑戦や脅威を意味します。視線をそらすことで「攻撃的ではない」「争う気がない」というメッセージを伝えます。
叱っているときに目をそらす犬を「反省していない」と感じる飼い主もいますが、実際には「怖い、やめて」というカーミングシグナルである可能性が高いです。無理に視線を合わせようとすると、かえって犬の不安を高めてしまいます。
体を横に向ける(Turning to the Side)
初対面の犬や人に対して、正面を向かずに体を横に向ける行動は、「脅威ではない」ことを示す犬のカーミングシグナルです。正面から近づくことは攻撃的な姿勢として受け取られる可能性があるため、横向きになることで緊張を和らげます。
Capitain ら(2025年)は、犬が初めて会う人間に対して側面を向ける行動(ボディターン)が友好的な挨拶シグナルとして機能し、相手の緊張を和らげることを示しています。犬が横を向くのは、敵意がないことを示す典型的なカーミングシグナルです。
ゆっくり動く(Moving Slowly)
普段より動作をゆっくりにする行動も、犬のカーミングシグナルの一つです。呼んでも急いで来ない犬が「わがまま」に見えることがありますが、緊張した状況でゆっくり移動することで相手を安心させようとしている場合があります。
動物病院に向かうときや、叱られた後に飼い主に近づくときにゆっくりした動きが見られた場合、それは恐怖や不安を感じているサインである可能性があります。無理に急かすことは逆効果です。
犬がゆっくり動くことには、相手の犬や人間の興奮を抑える効果があります。急いで動いたり直線的に近づいたりすることが相手の緊張を高めるため、意図的にスローモーションのように動くことでそれを防いでいます。飼い主が犬に近づく際も、ゆっくりカーブを描くように歩くと犬のストレスが軽減されることが知られています。特に初対面の場面や再会後の興奮が高まりやすい状況では、この「スローアプローチ」が互いの緊張をほぐす重要な手がかりになります。
地面の匂い嗅ぎ(Sniffing the Ground)
特定の状況で急に地面の匂い嗅ぎを始める行動も、犬のカーミングシグナルです。「突然何かを嗅ぎ始めた」と感じるときは、その場の状況(他の犬の接近、飼い主の緊張など)に反応している可能性があります。地面に集中することで、自分と相手の緊張を同時に緩和しています。
緊張した場面で突然地面を嗅ぎ始めるのは、嗅覚を使うことで扁桃体の興奮を下げる効果があるとも考えられています。散歩中に他の犬と出会った際にも見られ、直接的な対面を避ける意味合いもあります。飼い主が叱っているときにも起こることがあり、この場合は罰よりも環境を変えるアプローチが有効です。犬にとって嗅覚は最も重要な感覚であり、意識を嗅ぐことに向けることは自然な気持ちの切り替え手段でもあります。
カーミングシグナルが出るシーン別の読み方
犬のカーミングシグナルは、状況を合わせて読み取ることが大切です。同じ行動でも、場面によって意味が異なることがあります。
【動物病院・ケア時】
診察台に乗せられたときのあくびや鼻舐めは、「怖い・不安だ」というシグナルです。無理に押さえつけるよりも、スローペースで少しずつ慣れさせるアプローチが有効です。
【飼い主が怒っているとき】
叱られているときの視線そらしやあくびは、反省ではなく「これ以上怒らないで」「落ち着いて」というメッセージです。長時間の叱責は犬にとって強いストレスになります。
【初対面の犬や人との挨拶時】
体を横に向けたり、ゆっくり動いたりするのは健全なコミュニケーションです。飼い主がリードを短く持ち過ぎて犬の自然な行動を妨げないよう注意しましょう。
【トレーニング中】
集中が途切れてあくびをしたり、地面を嗅ぎ始めたりするのは、疲れやストレスのサインです。Russoら(2025年)らの研究は、犬のカーミングシグナルを指標としたトレーニング強度の調整が学習効果を高めることを示しています。休憩を入れるタイミングの目安にしましょう。
【多頭飼育での犬同士の関係】
先住犬が新入りに対して体を横に向けたり、ゆっくり匂いを嗅いだりするのは、適切な挨拶行動です。無理に仲良くさせようとせず、犬同士のペースを尊重することが大切です。
飼い主がとるべき対応
犬のカーミングシグナルに気づいたら、まず「何がストレスになっているか」を特定することが重要です。
1. シグナルを認識して状況を変える
カーミングシグナルが出ているということは、犬が不快・不安を感じているサインです。その場の環境(距離、音量、人数など)を変えることで、ストレスの原因を取り除きます。Clarkら(2020年)は、犬のストレス評価においてボディランゲージの読み取りが有効な指標となることを示しています。
2. 飼い主自身が落ち着く
犬は飼い主の感情に非常に敏感です。飼い主が緊張したり焦ったりすると、犬もそれを感知してカーミングシグナルを出します。深呼吸をしてゆっくり落ち着いた声で話しかけましょう。
3. カーミングシグナルを「返す」
飼い主も同じシグナルを返すことで犬を安心させられます。視線をそらす、ゆっくり動く、あくびをしてみるなど、犬の言語で「大丈夫」と伝えましょう。
4. 安心できる空間を確保する
犬が逃げ込める場所(クレートや毛布のある静かな場所)を用意することで、自分でストレスを緩和する能力を育てます。
5. 問題が深刻な場合は専門家に相談
カーミングシグナルが頻繁に出る、または行動問題に発展している場合は、動物行動学の専門家や獣医行動科医への相談を検討しましょう。
カーミングシグナルを活かしたトレーニング
犬のカーミングシグナルをトレーニングに活かすことで、より効果的で犬に優しいしつけが可能になります。
シグナルをトレーニング中断のサインとして使う
トレーニング中に犬がカーミングシグナルを連続して出したら、そのセッションを終わらせるタイミングです。犬の集中力と体力に合わせて、短いセッションを複数回行う方が学習効率が上がります。
強化子を使った脱感作
犬がカーミングシグナルを出す状況(他の犬、帽子をかぶった人など)に少しずつ慣れさせながら、良い体験(おやつ)と結びつけることで、恐怖や不安を軽減できます。
散歩でのシグナル観察
散歩中に犬がどのようなシグナルを出しているかを記録することで、何がストレス源になっているかを把握できます。ルートや時間帯を変えることで、ストレスの少ない環境を作ることができます。
多頭飼育での活用
犬同士の挨拶時にカーミングシグナルが正常に機能しているかを観察し、どちらかが過度に緊張しているサインが出たら飼い主が介入して距離を取らせましょう。
おすすめグッズ
犬のカーミングシグナルが多く見られる場合、ストレスケアグッズを活用することで環境を整えることができます。
アダプティル スターターキット(犬用フェロモン拡散器)
獣医師推奨のDAP(犬用安心ホルモン)拡散器。不安やストレスを感じているときのカーミングシグナルを軽減し、穏やかな気持ちをサポートします。
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スナッフルマット(犬用ノーズワークマット)
嗅覚を使った探索行動を促すノーズワークマット。犬の本能的な行動を満たし、精神的疲労を与えることでカーミングシグナルが出るほどのストレスを軽減します。
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アダプティル スプレー(犬用フェロモンスプレー)
獣医師推奨の犬用フェロモン(DAP)スプレー。外出時やストレスが高まる場面で使用することで、犬の不安を和らげカーミングシグナルの頻度を低減します。
楽天で見るまとめ
犬のカーミングシグナルは、犬が自分や相手を落ち着かせるために使うコミュニケーション手段です。あくび・鼻舐め・視線そらし・体を横に向ける・ゆっくり動くなど、日常生活の中で多くのシグナルが確認できます。
これらのシグナルを「わがまま」「無視」と誤解せず、「犬からのメッセージ」として受け取ることで、ストレスの原因を特定し、より良い環境と関係を築くことができます。犬のカーミングシグナルを理解することは、科学的な犬との暮らしの第一歩です。
日々の生活の中で犬のカーミングシグナルに注目し、犬が何を感じているかを読み取る習慣をつけることで、人と犬の絆はさらに深まります。
参考文献
- Hall et al. (2019). Developing and Assessing the Validity of a Scale to Assess Pet Dog Quality of Life: Lincoln P-QoL. Frontiers in veterinary science, 6, 326.
- Canori et al. (2025). If you blink at me, I’ll blink back. Domestic dogs’ feedback to conspecific visual cues. Royal Society open science, 12(2), 241703.
- Capitain et al. (2025). Differences in dogs’ and wolves’ human-directed greeting behaviour: facial expressions, body language, and the problem of human biases. Animal cognition, 28(1), 54.
- Russo et al. (2025). A Pre-Screening Tool to Assess Dog Suitability for Animal-Assisted Interventions: Preliminary Results for Dog-Suitability Tests (SuiTe). Veterinary sciences, 12(12), .
- Clark et al. (2020). Therapy Dogs’ and Handlers’ Behavior and Salivary Cortisol During Initial Visits in a Complex Medical Institution: A Pilot Study. Front Vet Sci.
犬の行動学やボディランゲージについては【獣医師監修】犬の行動学・ボディランゲージ完全ガイドでも解説しています。
犬の分離不安については【獣医師監修】犬の分離不安の科学|原因・改善トレーニングとグッズでも詳しく解説しています。
犬のストレスサインについては【獣医師監修】犬のストレスサインを科学的に理解するでも解説しています。
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